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 MTV FilmsとAMARU Entertainmentが制作したドキュメンタリー映画『Tupac: Resurrection』は、2003年11月14日に米国で公開された。Tupacの生涯を綴った映画ではあるが、過去に発表された関連ドキュメンタリー作品とは一味違い、Tupacが過去のインタビューで語った“自らの言葉”によって物語を紡ぐという形式となっている。
 米国では映画と連動したハードカバー書籍『Tupac: Resurrection 1971-1996』も出版されており、本書も同様に本人のコメントを中心に構成されており、直筆のLyricやメモ、そして貴重な写真が多数掲載されている。
 ここ日本では、映画公開は勿論、書籍の翻訳出版も予定されていないが、『Tupac: Resurrection 1971-1996』序盤を占める[New York 1971-1984]、[Baltimore 1984-1988]、そして[Oakland 1988-1991]編を紹介したい。2Pacが若かりし時代を自ら語った“自叙伝立志編”である。



 俺のお袋はブラック・パンサーの党員で、彼女は実際にその運動に関わっていた。
 黒人ってだけでいい地位を得ちまう、そんなもんだった。彼女は党内の高い地位にあったが、それは聞いたこともないものだった。パンサー党員の中でさえ、女性差別があったからだ。困難ばかりの俺のルーツを辿ると、その全てはほんとうに根が深い。俺の当時の継父だったムトゥル・シャクール、彼もまた有名な革命家だった。そしてその頃の俺の後見人だったジェロニモ・プラット、彼はウェスト・コーストのパンサー党員の中じゃトップ・クラスの公的地位にあった。
 人種差別の存在を、当時パンサー党員は攻撃していたから、政府はパニクってパンサー党員はアメリカ社会にとって有害なものと思うようになったんだ。だから奴らはあらゆるパンサー党員の家を襲撃した。とりわけ演説者として政府にとって害悪を与え得ると思われた者達の家を。
 俺のお袋は妊娠7ヶ月で、奴らはマッチの火をドアに放って言ったのさ、「火事だ!火事だ!」と。朝の5時なんだぜ。 そこでお袋がドアを開けると、奴らは押し入ってきて、ショットガンをお袋の膨らんだ腹部にあてて言ったんだ。「動くな、おいっ、お前を逮捕する」奴らは俺達に人間以下の扱いをしようとした。
 俺のお袋は刑務所にいたとき俺を身籠もっていた。彼女は彼女自身の弁護士だった。法律学校に行ったことなど一度もなかったが。彼女は300余年の刑に直面していた。黒人女性で、妊娠とくれば、こうした事態にぶちあたるものなんだ。それはきっとお前らに、黒人女性の強さと抑圧された者の強さを見せつけることになるだろう。
 刑務所を出て1ヶ月後、彼女は俺を産んだ。つまり俺は刑務所で育てられ、胎児のときは刑務所にいたってわけさ。

 赤ん坊の頃には穏やかで平和な一時があったことを覚えているが、すぐさま運命は動き出しちまった。俺は南米にあったインカ帝国の酋長の名にちなんで名付けられた。その名はトゥパック・アマル。思うに、その絶滅した部族の長は“聡明な戦士”だったんだ。彼は全くイカしたヤツなのさ。もし俺が南米に行けば、彼らは俺を愛してくれるだろう、本当だとも。彼らはトゥパックを知ってるんだ。

 俺のお袋は爆弾さ。
 最初に俺は彼女に反感を抱いたのは、彼女が運動に身を投じ、俺達は一度も一緒に過ごしたことがなくて、彼女はいつも同士と話したり彼らのところへ行ったりして、それがすべてだったってことだった。
 俺はいつも思ってたものだったよ。彼女は“彼女にとっての”人々よりも、“不特定多数の”人々に関心があるんだと。そしてそれが終わると、ようやく俺と一緒に過ごしてくれたんだが、俺達はお互いこんな感じだったよ。「ママは一体俺のママなの?」すると彼女はこうさ。「あなたは私の息子なのよ」それから彼女はホントに俺の相手をしてくれるんだ。けど、まったくもってホント厳しかったよ。
 彼女はどうやってコミュニティーに方向性を与えるかを俺に教えてくれた。そして俺は、俺のお袋は、俺の仲間達以上にずっとうまくどうやって女性を理解するかを俺に教えてくれたと思ってる。俺は強い女性の周りにいても居心地が悪いとは思わないんだ。
 俺の妹も爆弾だよ。彼女は俺の最大の批評家で、本当に頭が良くて、もう猛烈に面白いヤツなんだ。
 俺のお袋は、Fred HamptonやMark Clark、Harriet Tubmanみたいだったって思う。彼らは自分達は次の世代のために道を敷いてるんだって思っていたんだ。誰かが現状を打破しなければいけないし、全てを失ったり貧しくなったり打ちのめされたりする危険を犯さなければいけないんだ。つまり、誰かが犠牲にならなければいけないのさ。
 だけど貧乏は、マジで洒落になんないんだ。もし金がなくても、全ては倫理的な基準と人に対する接し方次第だというのなら、俺達は百万長者にも金持ちにもなってただろうよ。だけど現実はそんなんじゃないから、俺達は一文無しってわけさ。そして唯一の事実ってのは、厳しいこったが・・・貧しく生まれついたがために、俺は多くのものを手に入れ損なったということだ。俺は俺が欲しいものも、俺が必要と思うものさえもいつも手に入れることができないんだ。
 俺は、お袋は彼女の人生の中でたくさんの決断をしてきたと思っている。彼女は大学に行くこともできたはずだし、もっと裕福になることもできたはずなんだ。だけど、彼女は闘うこと、事態を改善することを選んだのさ。

 俺のお袋、彼女は本当に素晴らしいよ。本当に思いやりがあって面倒見がよくてさ。もちろん彼女だって人間で、つまり、間違いもたくさん起こすだろうけど、それだけは言えるんだ。

 俺のお袋は、俺に3つのことを教えた。すなわち、敬意、知識、知への探求。それは永遠の旅なんだ。

 彼女はいつも俺にこう言う。自分の報酬は、俺と妹達がいい人間に成長して、俺達がいい心を持つことだって。だけど、俺達は本当に金がなかったんだ。貧しさ・・・もし俺が何かを憎むとしたら、それがそうだろうさ。

 俺の親父はパンサー党員だった。
 だけど俺は、親父がどこにいるかとか、誰が確かな親父かなんてことは全く知らなかった。時代は60年代後半だった。人々はフリー・セックスを依然ひきづっていて、彼らはただ行き当たりばったりにヤッてたんだ。俺のお袋は結婚しないままに妊娠し、俺を身籠もった。で、俺には親父がいなかったというわけさ。
 俺の継父はギャングスタだった。生粋のストリート・ハスラーさ。彼は、パンサー党員は刑務所に入っても仲間を売ったりしないという事実を愛していた。
 彼は、お袋が子持ちだってことを気にさえ留めてなかったよ。彼はこんな風だった。「おー、あれが俺の息子か」俺を気遣ってくれ、俺に金をくれたが、彼もまた犯罪者みたいなものだった。彼はドラッグ・ディーラーで、仕事をしに出ていってしまう。彼は俺に金をくれるためにだけ来て、そしてまた行っちまうんだ。
 俺はこういうことを言うのが嫌いだ。なぜって、白人は黒人がこういうことを話してるのを聞くのが好きだからな。
 だけど、俺は事実として、もし俺に父親がいたら、俺は何がしかの規律を持っていただろうし、もっと自信を持っていただろうにって思ってるんだ。

お前のお袋は、男がそうするようには、お前をなだめすかすことはできないし、男がそうするようには、お前に自信を持たせることはできないだろ。俺のお袋は、俺の男らしさがどこにあるのかを、俺に示すことができなかったんだよ。男がどうあるべきかってことを教えてくれる男が、やっぱり必要なんだ。

 俺は小さい頃、おとなしかった。本をよく読み、詩を書き、日記をつけていた。そして一日中テレビを観て、テレビの前にいた。

 俺はその頃、独りでテレビの前にいて、独りで家の中にいて、独りで晩ご飯を作らなければいけなくて、独りで食べなければいけなかった。俺はただ独りいてテレビを、この見せかけの世界の中の家族とそこにいるそうしたすべての人々を観ていた。俺は、もし自分もそういうふりをするなら、その一部になれると知っていた。だから俺はすぐさまただひたすらに観て真似た。
 俺はまさにそうしたものに飢えていたんだ。俺は考えた。俺がもしそういう性格みたいになれて、そういう性格みたいに振る舞うことができて、そういう人々みたいに振る舞うことができるのなら、彼らの喜びを少しでも味わうことができるだろう、と。もし俺が大家族がいるように振る舞えるなら、孤独なんて感じないだろうと。


-->> The Next part is followed. Baltimore 1984-1988




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